関東大震災 東京大空襲 被災者を悼んで
東京都慰霊堂は墨田区横網町、横網町公園内にある慰霊施設です。もともとは関東大震災の身元不明の遺骨を収める「震災記念堂」として1930年に建てられましたが、1948年に東京大空襲の身元不明の遺骨と合わせて、「東京都慰霊堂」となりました。震災の遺骨3万8千人、大空襲の遺骨7万7千人が収められています。
現在の横網町公園。スカイツリーが見えますね。
震災前、かつてこの場所は軍服を作る工場だったのですが、その工場が移転し空き地になっていて、公園を作る予定の跡地となっていました。震災発生後、たくさんの方がこの場所に避難してきました。しかし、運び込まれた家財に火が燃え移り、さらに火災旋風が起こり、この場所だけで3万人を超える方が亡くなられたそうです。その時を再現した絵を見ましたが、人が炎の竜巻の中に飲み込まれていく恐ろしいものでした。
わたしの祖母は関東大震災、東京大空襲どちらも経験し生き残った方です。その祖母がよく小さいわたしをこの公園に連れてきては話を聞かせてくれました。当時小さかったわたしにとって祖母の話す内容がとても現実離れした内容だったので、イマイチ実感がわかなかったです。祖母曰く、この公園に逃げるか、別の場所に逃げるかどちらかの選択を迫られ、結局別の場所に避難したそうです。もし祖母達がこの公園に避難していたら、わたしは生まれていなかったかもしれません。
園内には復興記念館という当時の記録を残すため、この悲しい惨劇を後世に伝えるために建てられた記念館があります。入場は無料です。
これ、なんだかわかりますか?
写真右下に書いてありますねw 溶けた鉄柱の塊だそうです。震災で起きた火災の熱で、工場にあった柱が溶解してしまったものです。
2万本の釘が溶けて塊になったもの
平和を願って 復興記念館
復興記念館の中、焼けた家財道具などが展示されています。
焼けてしまった車椅子
慰霊堂の本堂です。2015年3月現在補強工事中ですが、本堂に入ることはできます。
これらを改めて見ると、祖母の言っていたことが現実にあったことなのだと思い知らされます。
2011年3月11日、東日本大震災が記憶に新しく、その影響は未だに被災者の方たちを苦しめています。いずれ来るであろうと予測されている東海大地震が起きたとき、わたしたちは被害を最小限に食い止めることができるでしょうか。
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